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                   日本・ブルガリア交流50周年
2019年(令和元)年は、日本とブルガリアの「交流開始110周年」、「外交樹80周年」、「外交関係再開60周年」の【三つの周年】の年
           
あなたは     jpeg 番目のお客さま            
日本・ 広島訪問のブルガリア人との交流  広島訪問の人には原爆資料館などを案内
 パルヴァノフ大統領  マーリン副大統領 ツァチェヴァ国民議会議長     日本・ブルガリア交流50周年
センドフ駐日大使 トドロフ駐日大使 ヴァシレフ駐日大使   コストフ駐日大使 
チュパロフ駐日経済担当参事官 アントノヴァ村田駐日参事官・領事 健厚省生物学放射線防護セン
ター・ゲオルギィエヴァ所長・教授
  ソ フ ィ ア 市
フアンダコヴァ副市長(現・市長)
科学アカデミー電子工学研究
センター・ヴトヴァ所長・教授
ソフィア・ひろしま友 好 ク ラ ブ ソフィア大学・ダスカロヴァ教授
グリコロヴァ駐日国際交流担当
 
  ばらの女王イヴァノヴァさんと日
本語弁論大会優勝者コレヴァさん
 
ミハイロフ国際記者 ゲオルギィエフ・プログラマー ナイチョフ広島大学留学院生
(現・ソフィア大学病院・心臓外科医)
  ツエンコヴァ神戸大学教授 
大 関・琴欧洲勝紀関
(現・鳴門親方)
 宗像市・グローバルアリーナ
ブルガリアフェスティバル
ブルガリアン・ボイス
国立・フイリップ・クテフ合唱団
 
  「ブルガリアンブルー」著者
マルコヴァ女史
 
 日本学術振興会・特別研究員
Ph.D ペトコヴァ女史
 ライチェフ広島大学准教授 ストヤノフ・サッカー選手   エミール広島大学留学院生 
プログラマー アレキサンダァ・ゲオルギィエフ氏
原爆資料館・平和公園 鯉城こと広島城 歓 迎 交 流 会   
2012年2月20日   原 爆 資 料 館 な ど に 案 内 広島市中区・平和公園
原爆炸裂(火球)と廃墟の広島模型

原爆投下の被害状況を熱心に聴くアレキサンダァ氏
 ひろしま・ブルガリア協会の今村会長と鈴木裕子さん(広島大学原爆放射線医科学研究所の鈴木文男・前所長夫人)は2012年2月20日、広島大学原医研の国際シンポジウムに招待参加したブルガリア生物学放射線防護センターのゲオルギィエヴァ所長トともに来広した二男・アレキサンダァ氏を原爆記念館や平和公園などに案内島しました。

 
同氏は、ブルガリアでIT広告関連を経営していて影響力のある人で、後にブルガリアの「ブルガリア・ひろしま交流会」の事務局長に就任した人です。

 
原爆投下の悲惨さや残虐さを目にしたアレキサンダァ氏は、「核兵器は悪魔だ。1日でも早く地球上から無くさなくてはいけない」と同資料館の感想文記載帳に期していました。    (撮影担当:今村会長)
原子雲の写真

(左から)鈴木さん、原爆資料館学芸員、アレキサンダァ氏
広島投下の原子爆弾・リトルボーイ

広島に投下された原爆・リトルボーイを凝視するアレキサンダァ氏

世界の核兵器所有国を示す地球儀

世界の核兵器所有状況を真剣に見るアレキサンダァ氏

強烈な熱線で焼けただれた被爆死者

原爆の強烈な熱線で焼けただれ死亡した
被爆者の写真を凝視するアレキサンダァ氏


核兵器廃絶を希求して記帳

 世界から核兵器がなくなることを願って記帳するアレキサンラダァ氏
原爆投下の8時15分で止まった時計

原爆投下時間で止まった時計に驚くアレキサンダァ氏

一発の原爆で廃墟と化した広島市街地

たった1発の原爆投下で廃墟と化hした広島市街地に驚くアレキサンダァ氏

被爆直後の被爆者の姿
 
強烈な講演と熱線で焼けただれ被爆者の模型を凝視するアレキサンダァ氏

被爆死没者の慰霊碑で折り

原爆資料館の見学の後に被爆死没者慰霊で冥福と平和実現を祈る
              鯉 城 ・ 広 島 城 広島市中区・広島城
鯉城こと広島城の天守閣
 
広島の中心にある鯉城こと広島城を見学するアレキサンダァ氏
かつての広島城周辺の地図

広島城のホームページから
 原爆資料館や平和公園を案内した今村会長と鈴木裕子さんは、日本建築の代表的な建築物、鯉城こと広島城を案内しました。 

 
堀に囲まれた平城・鯉城こと広島城の天守閣は、原爆の惨禍によって一瞬のうちに崩れてしまいました。

 現在の天守閣は郷土のシンボル・広島市復興の象徴として昭和33年(1958年)に外観が復元されたものです。

 
 
広島城の歴史を見ると、中国方面の統治者毛利輝元が天正16年(1588)に、これまでの山城・郡山城(現在、安芸高田市)がすでに時代遅れであることを悟り、中国地方一帯を治めることができる城と城下町
建設のために、祖父・元就が重視していた広島湾頭に平城を築城することにした。

 
輝元は翌17年(1589)、太田川デルタ周辺の山々から城地を見立て、築城を開始し当時、「五箇」と呼ばれていたこの地を「広島」と名付けたと言われています。

 
城地として選ばれたのがデルタだったため、地盤が軟弱で難工事となったが、2年後の同19年(1591) には輝元は入城を果たした。

 
石垣や堀など全ての城郭が落成したのは、慶長4年(1599) との記録が残っている。(以上、広島城ホームページを参照)
   
2008年5月9日  センドフ大使を宮島が見えるサービスエリアに 高速・山陽道の宮島サービスエリア 
世界遺産・宮島をバックに

(左から)センドフ大使、コレヴァ広島大学留学生・通訳、山尾常任理事
  世界遺産・宮島の大鳥居模型の前で

(左から)センドフ大使、コレヴァ広島大学留学生・通訳、今村会長
 ひろしま・ブルガリア協会の今村会長と山尾常任理事は2008年5月9日、EU加盟1夕年記念の講演と歓迎交流会出席のために来広した駐日ブルガリア大使館のブラゴヴェスト・センドフ大使を世界遺産・宮島に案内したかったのだが、今回は時間がないため仕方なく広島市郊外の高速山陽道の宮島サービスエリアに案内し本土側から宮島を眺めていただきました。    センドフ大使と通訳のコレヴァ広島大学留学生は、宮島サービスエリアに到着するなり、世界遺産・宮島にある赤い大鳥居の模型に驚きながら、対岸に見える宮島を眺めました。

 センドフ大使は、今回宮島に行けなかったことを残念に思いながらも「次の機会に案内してください。それまで宮島に渡ることを楽しみにしています」と笑顔で語っていました。
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