ひろしま・ブルガリア協会 Hiroshima-Bulgaria Association
H P
トップ
ブルガリア
の 歴 史
ブルガリア
の世界遺産
ブルガリア
での原爆展
世界最古
黄金文明
 ブルガリアで活動 首 都
ソフィア
ブルガリア
訪  問
ブルガリア
人との交流
駐日ブルガ
リア大使館
生物学放射線
防護センター
協 会
ニュース
平 和 文 化 教 育 ユ ニ
タール
ダマスク
ローズ
プ ロ ヴ
ディフ市
カザン
ラック市
広島県 広島大学 鶴 学 園
広島工業大学
在ブルガリア
日本大使館
ブルガリア科
学アカデミー
活 動
総 覧
医 学 学 術 料 理
教 室
写真と
物産展
ブルガリア
フエステ
ソフィア・ひろしま
友 好クラブ
広島市 広 島
修道大学
 県 立
広島大学
広 島
市立大学
広島大学原医研
鈴木・元所長
総 会 芸 術 経 済 福 祉・
バザー
ス ポ
ー ツ
元 大 関
琴欧州関
ばらの女王と日本
語弁論大会優勝者
安 芸
高田市
広 島
女学院
広島市立美
鈴が丘高校
広島市立
中山小学校
ブルガリアの鷲の橋
と広島市の猿猴橋
  *下の写真をクリックしても詳細が出ます。

2019年(令和元)年は、日本とブルガリアの「交流開始110周年」、「外交樹80周年」、「外交関係再開60周年」の【三つの周年】の年
あなたは    
jpeg 番目のお客さま            
来日・来広ブルガリア人との交流
バルヴァノフ大統領 マーリン副大統領 ツァチェヴァ国民議会議長  日本・ブルガリア交流50周年
 センドフ駐日大使 トドロフ駐日大使  ヴァシレフ駐日大使  コストフ駐日大使 
チュパロフ駐日参事官  アントノヴァ村田駐日参事官・領事 健厚省生物学放射線防護セン
ター・ゲオルギィエヴァ所長・教授
 
ソ フ ィ ア 市
ファンダコヴァ副市長(現、市長)
 
科学アカデミー電子工学研究
センター・ヴトヴァ所長・教授
 
ソフィア・ひろしま
友 好 ク ラ ブ
 
ソフィア大学・ダスカロヴァ教授
駐日ブルガリア大使館・
グリコロヴァ国際交流担当
 
 ばらの女王イヴァノヴァさんと日
本語弁論大会優勝者コレヴァさん
 ミハイロフ国際記者
アレキサンダー・ゲオルギィエフ氏  ナイチョフ広島大学留学院生 ツエンコヴァ神戸大学教授 
大 関
琴欧洲勝紀関
 
宗像市・グローバルアリーナ
ブルガリアフェスティバル
 
ブルガリアン・ボイス
国立・フイリップ・クテフ合唱団
 
「ブルガリアンブルー」著者
マルコヴァ女史
 
 日本学術振興会・特別研究員
Ph.D ペトコヴァ女史
ライチェフ広島大学准教授  ストヤノフ・サッカー選手  エミール広島大学留学院生
2009年1月16日(木)  ブルガリア第2のスタンダルト新聞の記者が来広
  国際ジャナリストのリュボミール・ミハイロフ氏が、ひろしま・ブルガリア協会や原爆資料館などを取材
     今村会長、藤田専務理事が案内  (社)国際交流サービス協会・職員が随行
 ブルガリア第2のスタンダルト新聞の国際ジャーナリスト・リュボミール・ミハイロフ 氏から、「ヒロシマとひろしま・ブルガリア協会の取材に行きたい」と、当協会に連絡があり、2009年1月16日(木)に同記者を受入れました。

 
当協会は、ミハイロフ記者の初来広に対して、@原爆資料館A被爆者の証言、B前田原爆資料館長C広島市の平和行政D平和公園E原爆被爆者の慰霊碑E原爆の子の像F爆心地ーーなどの取材に協力しました。
 さらに当協会が事前に連絡を取っていた(財)広島平和文化センターのリーパー理事長も原爆展開催のためのアメリカ出張から帰広したばかりだが当協会の歓迎交流会の会場まで駆けつけてくれ、取材を実現することができました。

 ミハイロ記者は一連の取材を終えた後、当協会や各県警者の真心からの取材協力に感謝しながら、「帰国後に核兵器の残酷者悲惨さ、被爆語の広島市の平和行政、ひろしま・ブルガリア協会の活動などを書き、ブルガリア人に伝えたい」と語っていました。
 国重副館長の説明を受けながら原爆資料館を取材

原爆の日8月6日に広島に投下された原爆の原子雲の前で
火球(原爆の爆発)と廃墟の広島市街地模型

広島上空で爆発した原子爆弾(火球)と
蒸発した被爆都市の模型で当時の惨状を聞く

 被爆者の証言に耳を傾けて、「核兵器は人類最大の悪」と 

  ミハイロフ記者に被爆者の証言を聞いてもらうために、原爆資料館の配慮で被爆者・松本さん(76)を紹介してもらい約1時間、被爆当時から現在までの体験をかたってもらいました。

 悲惨で苦しんできた被爆体験を聞いた後、ミハイロフ記者は、松本さんの家族や親せきの被害や同級生や近所の人たちの被爆状況などをきめ細かく取材していました。

 最後にミハイロフ記者は、帰国後に被爆者の証言を新聞に載せてブルガリアの人たちにも原爆の残酷さや悲惨さをしらせ、核兵器は人類悪だということを知らせたい、と語っていました。

 
なお、当協会から藤田副代表理事と今村常任理事・事務局長が同席しました。
 被爆者から被爆の証言を取材

被爆者・松本さん(76)の被爆体験に耳を傾けるミハイロフ氏(左2人目)

 原爆資料館の前田館長にインタビュー
手島平和推進課長、今村会長、佐藤エスコートらが同席

 原爆資料館の前田館長にインタビュー

前田館長(右)にインタビューするミハイロフ記者(左2人目)
 インタビュー後に記念写真に

インタビュー後に前田館長とミハイロフ氏を中心に記念写真に
(左から、今村会長、佐藤エスコート、前田館長、
ミハイロフ氏、手島課長、小泉通訳)

 広島市の平和政策を取材

 広島市の核兵器廃絶・恒久平和政策を取材

広島市の手島平和推進課長(左)から、2020年までの
核兵器廃絶プロジェクトや原爆展の海外開催、原爆
資料館の運営など恒久平和実現への政策を取材
  広島市の平和行政を知りたい、というミハイロ記者に応えて、日r島市の手島平和推進課長が取材に応じてくれました。

 
手島課長は、@2020年までに世界から核兵器廃絶するプロジェクトA原爆展の海外開催B原爆資料館の運営ーーなどの恒久平和実現への広島市の平和行政について、約1時間丁寧に説明しました。

 
ミハイロフ記者は、熱心に耳を傾け、さいさい質問してメモを取っていまました。

 取材を終えて同記者は、長時間の取材協力に対し手島課長に謝辞を述べながら、「帰国したらヒロシマの心や広島の行政姿勢をブルガリアで報道します」と語っていました。

(財)広島平和文化センターのリーパー理事長にインタビュー
佐々木、高丸・両副代表理事らが同席

 当協会は事前に、(財)広島平和文化センターのリーパー理事長当てに、ブルガリア第2の新聞社記者から、ヒrシマの取材希望があることを連絡していましたが、同理事長が原爆展開催のためにアメリカ出張中ということの連絡を受けていました。

 
残念ながら今回は取材に間に合わない、と思っていたところ、同センターから「リーパー理事長が帰広し、夕方なら取材に応じる時間が取れる」と連絡があり、当協会の歓迎夕食交流会の会場・広島県立図書館内のレストランまで来ていただきました。

 ミハイロフ記者は、リーパー理事長のインタビューができることを喜び、同理事長から核兵器廃絶へ向けての広島市のプロジェクトの進捗や世界の状況などを取材していました。

 
最後にミハイロフ記者は、「これで取材の目的がほとんどすみました。後は帰国して記事にするだけけです。ご期待ください」と笑みを浮かべていました。
 リーパー理事長にインタビュー

アメリカから帰国したリーパー理事長(右)に熱心なインタビュー

 当協会の常任理事・理事会を取材
碓氷顧問、佐々木、高丸・両副代表理事ら15,6人が参加

 第24回・常任理事・理事会も取材

黄金文明展の共催・協力事業やスタンダルト新聞社の
取材などを報告、検討
 
  ミハイロフ記者から、当協会の活動を取材したい、との申し入れを受けて当協会は急きょ、「第24回・常任理事・理事会」と「ミハイロフ記者の歓迎夕食交流会」を広島市中区の広島県立美術館内のレストランで開きました。

 
急きょの常任理事・理事会と歓迎夕食会に対し、15,6人の役員が参集し、ブルガリアのトラキア黄金展の開催(場所:同県立美術館)協力事業の検討やスタンダルト新聞社nミハイロフ記者の取材の報告などをしました。

 
ミハイロフ記者は、活発で和気あいあいの意見交換をする常任理事・理事会を熱心にメモしながら時々、ブルガリとの交流団体の設立理由や具体的な活動などについて質問をしていました。

 
引き続いてミハイロフ記者の歓迎夕食交流会に移り、約2時間にわたり和やかに交流しました。

 ひろしま・ブルガリア協会が「歓迎交流会」を主催

当協会の取材&歓迎夕食会

当協会の取材&歓迎夕食会であいさつするミハイロフ氏
歓迎夕食会でも熱心に取材

歓迎夕食会でも熱心にペンを走らせるミハイロフ氏

 ミハイロフ記者を中心に記念写真

夕食歓迎会の後に記念の写真に

夕食会の後に記念の写真におさまる参加者たち
(時間の関係で、写真に入れなった人たちも)
 <ページ上に>  <HPトップ>  <活 動>  <ブルガリア紹介>  世界遺産  機関紙
  Copyright (C) 2007 Hiroshima-Bulgaria Association. All Rights Reserved.