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2019年(令和元)年は、日本とブルガリアの「交流開始110周年」、「外交樹80周年」、「外交関係再開60周年」の【三つの周年】の年
           
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カザンラック市役所でダミャノフ市長と意見交換(9回目)
ヒロシマ・ナガサキ原爆展の開催や今後の交流のあり方など
  
カザンラック市役所




ダミャノフ市長と意見交換の場に参加した訪問団員

ダミャノフ市長と意見交換
+
(左から)浅野顧問、福井大使、ダミャノフ市長、
寺田団長、今村代行(第1次・訪問団)
 
  第1次・ブルガリア訪問団(寺田団長、10人)は、カザンラック市役所にステファン・ダミャノフ市長を表敬訪問し種々、意見を交換しました。
 
同市長は、昨年8月の被爆60周年・平和祈念式典に参加された際、当協会が歓迎交流会を開き、親しく交流したことから、両者とも再会を大変喜びました。

 
寺田満和・団長は、秋葉忠利・広島市長のメッセージを、福本、本多さんからは、それぞれ原爆ドームのタペストリーや世界遺産・宮島の宮島彫りなどを、同市長に手渡しました。

 今村功・団長代行は、第1回・ヒロシマ・ナガサキ原爆展の開催、同展の巡回展の実施、今後の交流などについて要請しました。

 ダミャノフ市長は、
原爆展は8月に開催するので、秋葉市長とともに再訪してほしい、と言われました。
ダミャノフ市長を中心に記念写真に

秋葉市長からの原爆ドーム・タペストリーと当協会からの宮島彫りを
手にしたダミャノフ市長と第1次・ブルガリア訪問団メンバー
 
 ば ら 祭 り パ レ ー ド  
 ばらの町の女王


未来の女王


ばらの妖精


騎馬武者
 
大統領とダミャノフ市長

 
 カザンラック市では、バラの季節6月の第1土・日に「ばら祭り」を開催している。

 
市のセンター広場の前を走る道路で、ばらの女王を先頭に、近隣の町の代表者がばらの妖精、騎馬武者、面踊りなどに扮してのパレードを行う。

 開会式では、
ゲオルギ・パルヴァノフ大統領とステファン・ダミャノフ市長が、平和を象徴するばらの祭りを満喫して下さい、と開会あいさつしてパレードが始まる。
 沿道に並んだ多くの見学者がそれぞれカメラを手に写真を撮るが、日本からの観光客の多さに驚かされた。
妖精と犬


面 踊 り
 
  ブルガリアンローズ・オイル=ダマスクローズ。オイル
フランスやイタリア香水原料の製油所見学
  辺りにはローズの香りが漂う
 ばら畑の前で民俗踊りを披露する子どもたち
昔の製油(蒸留)機で説明受ける
 
 ブルガリアの子どもたちと記念写真に
 現在の製油工場
 早朝に集められたばらの花びらを製油釜に


工場のスタッフから製油方法の説明を受ける
製油釜から蒸留されたオイルを集める装置
 

蒸留されたローズオイルを抽出する機器
2006年6月  第1次・訪問団は日本ブルガリア協会訪問団と合流訪          
     世界遺産・「トラキア人の墳墓」のレプリカを見学 
高 原 に 散 在 す る 墳 墓
 当協会はこれまでブルガリアを訪問したことがないことから、第1次・ブルガリア訪問団(寺田団長、10人)は、日本ブルガリア協会の訪問団と共に派遣しました。 

 訪問活動の中で、
カザンラック市も訪問しましたが、同市の郊外は、広大な高原地帯となっており、直径5m〜30m位の小さな古墳が点在していました。

 これらの墳墓の中から、
世界遺産となった天井絵(フレスコ画)や黄金仮面、精巧な細工がされたリュトン(盃)などの金銀製品が多く発掘され、往時の文明度の高さが伺えました。
 この中で訪問団は、世界遺産となっている「トラキア人の墳墓」を見学することになりました。

 しかし世界遺産・トラキア墳墓は、
石造りの建物・記念館の中に保存されて、ちょくせゆ見ることができなくなっており、そこから約50m位離れたところに造られたレプリカを見学することになりました。
世界遺産・「トラキア人の墳墓」記念館

記念館前で世界遺産の説明を聞く訪問団一行 
 本物(後方)を後にレプリカに
レプリカの入口
 世界遺産・トラキア人の墳墓の天井フレスコ画
 
2006年8月  第2次・訪問団から ひろしま・ブルガリア協会の独自の訪問から
世界遺産・「トラキア人の墳墓」本物の視察
世界遺産を保護する墳墓記念館
 
 

 カザンラックのトラキア人の墳墓は、ブルガリア中部の町カザンラック近郊のレンガ造りの丸天井型地下墳墓(カタコンベ)である。

 
古代には、トラキア人の首都・セウトポリス近郊にも位置していた。

 この墓地は、大規模なトラキア人共同墓地の一部をなしており、狭い回廊と丸い埋葬室とからなっている。

 建造は、紀元前4世紀」
にまでさかのぼるものであり1979年には「ユネスコ」「世界遺産」にも登録された。

 回廊や埋葬室は、ともに慣例的な葬儀の宴におけるトラキア人夫妻を描いた壁画で飾られている。

 その壁派には、
素晴らしい馬が描かれていて目を惹くが、それ以上に座っている夫婦が互いに手首をつかみ、告別の身振りをしていることが印象的である(テンプレート内の画像参照)。)

この壁画は、「ヘレニズム時代」
のブルガリア美術のなかで、最も保存状態の良い傑作である。

                登 録 基 準

 この世界遺産は、「世界遺産登録基準」における以下の基準を満たしたと見なされ、登録された。

  • (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
  • (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
一人がやっと通れるほどの
狭い墳墓への入り口


赤、青、白などで彩色された前室
 紀元前3世紀に建てられたカザンラッウのトラキア人の墳墓は、ブルガリアのほぼ真ん中にあるカザンラック市の近郊にあり、トラキア人のロイゴスの地下型墳墓である。

 この墓は、「狭い回廊」「丸い埋葬室」とからなっている。

 回廊は、
二つの軍隊の戦いで、埋葬室は葬儀の宴におけるトラキア人夫婦を描いた壁画で飾られている。

 壁画には、
トランペットの似ている楽器で演奏している人や、ワインなどを運んでいる召使の姿。

 
トラキア人は、馬をとても大切にしていたことが分かっているので、壁画に描かれた馬はおそらく葬られたロイゴスのだお好きな馬であろう。

 
壁画の中心を占めているのは、互いの手首をつかんだロイゴス夫婦の姿で、永遠の別れの気持ちのこもった、この姿は印象的である。
世界遺産指定の主要因・素晴らしい天井壁画 
  天井壁画は、4重に描かれている。天井の最上部には絵がなく、次の輪に騎馬隊の行進(騎馬戦?)。
 3重目の輪には、トラキア時代の王の葬式儀式や笛の演奏などが描
かれ、当時の文化様式を表している。 

 彩色は、
紅色、青、茶色など、鮮やかな色彩が綺麗に残っている

トラキア時代の騎馬軍や女神、
ワインを運ぶ人などが描かれたいる

トラキア時代の結婚式か葬式の儀式のフレスコ画
  考古博物館の見学

トラキアジン墳墓からの出土品  

牛顔リュトン=ワイングラス


銀の馬リュトン


銀のツボ


 銀の器


銀貨


黄金製品




銀製品

銀のリュトン


銀の器
青銅器製品

文化遺産(7か所)
1.ボヤナ教会(1979年10月)

2.マダラの騎士像(1979年10月)

3.カザンラックのトラキア人の墳墓(1979年10月)

4.イヴァノヴォの岩窟寺院(1979年10月)

5.ネセバル(1983年12月)

6.リラの僧院(1983年12月)

7.スベシュタリのトラキア人の墳墓(1985年12月)

自然遺産(2か所)
1.スレバルナの自然保護区(1983年12月)

2.ピリン国立公園(1983年12月)

新発掘されたゴリャマ・コスマトカ墳墓(セフト3世墳墓)

セフト3世墳墓の全景
 紀元前5紀からトラキア人が、現ブルガリアのほぼ中央部を治めたといわれ、カザンラック市郊外の高原には多くの古墳が散在している。

 
その中で最も大きいもが2004年に発見されたセフト3世王の墓で、紀元前5世紀ごろの墓だそうです。

 
現在は入り口から内部の一部がせいびされ、観光客にも公開されています。
 入 口
 古墳の入り口を入るとセフト3世ブロンズ頭部像が出迎
 古墳記念館の入り口を入ると正面にセフト3世のブロンズ頭部像(レプリカ)が、石の上で出迎えてくれる。

 また、墳墓から発掘された金製品や青銅製品、ローズオイル入れなどの写真が掲示されている。
 
 これらの発掘物は、全てカザンラック市の歴史博物館医展示されているから、是非訪れて一見したっほが良い。
 墳墓前から発掘されたセフト3世ブロンズ頭部像
 発掘された金製品や青銅製品、ローズオイル入れ壷
   
 細く長い参道・回廊
 入り口から見た
補強された長い参道

 入り口は、人一人がゆったりと入れるやく1m位で、入り口から奥に7,8mは天井と側壁は補強されている。
 その奥にまた4m位の回廊があり、円筒形の前室につながってる。 
 前室から見た参道
 円筒形の部屋の前室は、壁から丸天井まできれいな石積みで造られ、当時の技術の高さが伺える。 円筒形の前室
 
  丸 天 井
巨岩をくり貫いた玄室・埋葬室
巨岩をくり貫き造られた玄室の天井
 一番奥の玄室・埋葬室は、長方形の部屋で、よく見つと一つの巨岩をくり貫いて造られている。

 
石のベット上の棺が、きれいに造られて精巧な技術で造られている。
 玄室の石棺
 
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