ひろしま・ブルガリア協会 Hiroshima-Bulgaria Association
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2019年(平成31)年は、日本とブルガリアの「交流開始110周年」、「外交樹80周年」、「外交関係再開60周年」の【三つの周年】の年
           
あなたは     jpeg 番目のお客さま            
ブ ル ガ リ ア の 主 要 都 市
 首 都
ソフィア市
 ば ら の 街
カザンラック市
 第2帝都・ヴェリ
コ・タルノヴォ市
第 2 都 市
プロヴディフ市
 
ドナウ川沿い
の街・ルセ市
黒海沿岸の貿易
都市・ヴァルナ市
 
黒海に突き出た街ネセバル 黒海沿岸の貿易
都市・ヴァルナ市
ド ナ ウ 川 沿 い の 街 ・ ル セ 市
 ブルガリアの北東に位置しドナウ川沿いの町・ルセ市は、人口約20万人のブルガリア第4の都市ー。ドナウ川の対岸はルーマニアで、国境の街です。
 
このルセ市で当協会は2007年6月に第4次・ブルガリア訪問団として訪れ、ブルガリアで2都市目の「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」を開きました。
 
ルセ市を訪れたキッカケは、同市出身の当協会・特別会員で
ある神戸大学教授のルミヤナ・ツェンコヴァさんと同教授の友人・エレナ・ケルチェヴァさんの協力で「原爆展の開催」が決まったからです。
 
また同市では、ツェンコヴァ教授の父・ニコラ・ツェンコフさんやケルチェヴァさんらとも交流しました。
 
そこで、「第4次・ブルガリア訪問団報告」を通して、ルセ市を紹介します。

2007年6月10日〜5月 20日  第4次・ブルガリア訪問団の軌跡          

ルセ市で「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」を開催
平和・文化・教育・学術・大学間協定・経済交流を展開



            第1回・「ヒロシアマ・ナガサキ原爆展」(ブルガリアで通算3都市目)   
 ブルガリア第4の都市でルーマニアとの国境の街でもあるルセ市で、ブルガリアでは3都市目となる「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」を6月12日午後6時から開きました。  会場は、市の中心部のスヴォボダ広場にある国立(ドホドノ・スダーテー)劇場の1階ホール。
 開催期間は、6月12日から7月12日までの1か月間。
   
 秋葉広島市長からの平和メッセージを紹介した後、手渡す
  ブルガリア訪問団は必ず広島市長の平和メッセージと平和都市連帯の加盟申請書を携えて各都市の市長に手渡し、「世界の核兵器廃絶と恒久平和」の推進を目指してきました。     今回も秋葉広島市長からの「平和メッセージ」を原爆展のオープニングの際に通訳を介して紹介した後、ケナレフ副市長に手渡しました。         

 
 被爆の実態を伝えるDVDを見入る来場者
 オープニングセレモニーの終了後に会場では、原爆投下の脅威や悲惨さを伝える原爆投下直後の記録DVDを放映しました。  チエルノブイリ原発の爆発放射能が降って来た、と噂されているるだけに来場者は、真剣に閃光・高熱・放射能・爆風などの被害状況に真剣に見入っていました。      
 
原爆の脅威や悲惨さを表す被爆写真と説明英文を見入る来場者
 原爆展の会場では、来場者が原爆の脅威や悲惨さを表した被爆写真と英文の説明書を真剣に見ていました。    中には日本語教育を学んでいる総合学校の生徒たちの姿も見え、訪問団員たちと日本語で原爆について語り合っていました。  
 
マスコミに大きく報道された「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」
 ルセ市で初めて開かれた「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」だけに、マスコミにも注目され、新聞やテレビなどに大きく報道されました。  新聞では、原爆展墓オープニングの模様(下写真右)と、千羽鶴を折れば原爆病が治ると信じて千羽の鶴を折りながら若くして亡くなった「サダコ」(同写真左)の記事が写真と共に報じられ注目されました。     
 
 ル セ 市 役 所 を 訪 問
 第4次・ブルガリア訪問団(今村団長、4人)一行は、ルセ市役所に原爆展・担当のケナレフ副市長を訪ねました。  ルセ市役所は、6階建てで予想以上の立派な建物でした。
 
ケナレフ副市長に「平和市長会議」への加盟申請書を渡し、と原爆展の最後の打ち合わせ 
 第4次・ブルガリア訪問団一行は、原爆展開催を担当するケナレフ副市長に会い、@秋葉広島市長からの「平和メッセージ」A「平和市長会議の加盟申請書」B原爆ドーム・タペストリーC協会からの土産・浮世絵の風呂敷D世界遺産・宮島の「宮島彫り」などを手 渡しました。
 ケレナフ副市長からは、「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」オープニングの具体的な説明を受け、さらに同展オープニングの後に同市主催の歓迎夕食交流会への招待を受けました。         


 
 原爆展オープニングの後に、ルセ市招待の「歓迎夕食交流会」
 原爆展オープニングの後にルセ市は、第4次・ブルガリア訪問団の「歓迎夕食交流会」を開いてくれました。
   この歓迎夕食交流会には、訪問団に加えてルセ訪問のキッカケを作ってくれた当協会・特別会員のルミヤナ・ツェンコヴァ神戸大学
教授の父親・ニコラ・ツェンオフさんと、原爆展開催に協力してくれた同教授の友人・エレルナ・ケルチェヴァさんも招待参加。
 訪問団一行とケナレフ副市長らは、今後の友好交流の促進などについて親しく懇談しました。         
 

 
ドナウ川の対岸はEUに同時加盟した国・ルーマニア 
 ブルガリアと隣国・ルーマニアの国境となっているドナウ川に唯一の橋(鉄道と車道併設)が架かっているルセ市は、ルーマニアやハンガりー、ロシアなどにつながっている。   ある意味では国際都市になっても良い街だが現在、ややもすれば通過都市となっている。
 同市でも親日感が強く、日本語学科を備えた総合学校がある。
 
第 二 帝 都 ・ ヴ ェ リ コ ・ タ ル ノ ヴ ォ 市
 国のほぼ中央を東西に横たわっているブルガリア最大のバルカン山脈の東北部の山の中に開ける街・ヴェリコ・タルノヴォ市ーー。
  当協会は発足した2005年7月に、外務省のブルガリア担当者から「国立ヴェリコ・タルノヴォ大学日本語学科と日本で最も歴史のある国立広島大学日本語学科の学術交流を進めてほしい」と依頼されたことから関心を持ってきました。
 翌2006年5月の「第1回・ブルガリア訪問団」から毎年、ヴェリコ・タルノヴォ市を訪れ市長や同大学長、日本ブルガリア友好協会・会長、大相撲大関・琴欧州の両親らと会って、「同大学と広島大学間の学術交流」や市民交流を進めてきました。
 「第4次・ブルガリア訪問団」でも同市を訪問しましたので、訪問報告書を通して紹介します。

 ヴェリコ・タルノヴォ大学を訪問し、学術交流で意見交換
 首都にあるソフィア大学につて日本語学科を備えている国立・ヴェリコ・タルノヴォ大学ーー。  バルカン山脈に開けたヴェリコ・タルノヴォ市だけに、ヴェリコ・タルノヴォ大学も山の中腹に建てられいる。     
山の中腹にあるヴェリコ・タルノヴォ大学 数か国から留学生が来ていた 
 山の中腹にあるヴェリコ・タルノヴォ大学からの眺望は良く、旧市街地が一望できる。  日本では京都大学に位置するヴェリコ・タルノヴォ大学だけに、各国からの留学生の姿が多くみられました。      
 
 広い廊下のヴェリコ・タルヴォ大学の校舎内
   歴史を重んじるのか学長室前の廊下には歴代学長の顔写真が飾ってありました。    廊下は幅広くゆったりとしていて、参考書などが売ってある売店もありました。
 なぜか品物は、窓越しに買うようになっていました。            
 
広島大学とヴェリコ・タルノヴォ大学の日本語学科交流について意見交換 
 学長が病気のために、学長会議室で学長代理のデルメンジェヴァ副学長と意見交換しました。
 会議には日本語を教えている講師の方もいて、ブルガリアのEU加盟により日本からの支援が途絶えて日本語を教える日本人教師が不在になったので、本格的な教育ができない、と深刻な現状が
訴えられました。
 なかでもデルメンジェヴァ副学長は、ヴェリコ・タルノヴォ大学が国立なので、できれば国立・広島大学日本語学科からの日本語教師の派遣を」と強く望まれました。
 今村団長は、帰国ごに要望を広島大学の学長や教授に伝えることを約束しました。
 
ヴェリコ・タルノヴォ大学からメダルや大学紹介本などをいただき記念写真に 
 訪問団は、ヴェリコ・タルノヴォ大学側から記念品として同大学の紹介本やメダルなどをいただきました。  最後に訪問団とデルメンジェヴァ副学長らと随行していた日本ブルガリア友好協会のリャンコヴァ会長らと記念写真に。         
 
 ヴェリコ・タルノヴォ市役所を表敬訪問
 第4次・ブルガリア訪問団一行は、ヴェリコ・タルノヴォ市役所を訪問し、平和・文化・教育担当のグロズダノフ副市長と教育や経済などの友好交流について意見を交換しました。  この意見交換には、日本ブルガリア友好協会のリャンコヴァ会長や大関・琴欧州のご両親も同席され、意見交換に耳を傾けていました。
       

 ヴェリコ・タルノヴォ市から「名誉市民賞」や同市紹介本など贈られる
   ヴェリコ・タルノヴォ市からは、今村団長に「名誉市民賞」が、団員全員には同市の紹介本などが贈られました。   最後に今後の友好交流の促進を期して、意見交換の席にいた全員で記念写真に納まりました。
 
 5社のマスコミから取材を受ける
 副市長との会見場所でもマスコミが取材していたが、会議室を出ると、3社のテレビ放送から取材を受けました。  これらのマスコミの注目は、ヴェリコ・タルノヴォ市と広島市との文化や経済交流についてでした。
 
日本・ブルガリア友好協会の事務所を訪問 
 ヴェリコ・タルノヴォ市は日本との交流に関心が深いようで、日本・ブルガリア友好協会にブルガリア帝都の宮殿跡地に通じるメーン通りに事務所を提供しています。
 この事務所は、地下1階、地上2階の立派な建物で、地下には日本食堂を作る予定、と聞きました。
 同事務所に案内された訪問団は、会議室で意見交換した後、ブルガリアの子供たちが描いた絵画を贈られ、広島の子供の絵の交換交流を提案されました。
 これに対し今村団長は、素晴らしい交流だとして実現に努力することを約束しました。
 


 ブルガリア第二帝国の都だった旧市街地








 
 「広 島 風 ・ お 好 み 焼 き 」の 実 演 と 試 食 会
 広島特産の「広島風・お好み焼き」はブルガリアでは人気が出るのか、と広島市のオタフクソース株式会社の協力を得て「オタフクお好みソース」やお好み焼き粉「オコミックス」を持参しました。
 ベリコ・タルノヴォ市の日本ブルガリア友好協会のリヤンコヴァ会長の友人オーナーから、レストランを借りて「広島風・お好み役の
実演と試食会」を 行いました。
 リヤンコヴァ会長もお好み焼きつくりに挑戦し、プチお好み焼きを作りました。
 同会長やオーナーは試食した後、「ブルガリア人の口にも合う。余った食材を使ってお客さんに出してみる」と語っていました。



 
大相撲 大関・琴欧州関のご両親らと交流
 
 首都・ソフィア市の活動

在ブルガリ日本大使館を訪れ、「第4次・ブルガリア訪問団の活動予定」を説明 
 訪問団一行は最初に、在ブルガリ日本大使館に竹田大使を訪ねて、「活動予定行事」を報告しました。
 この大使の表敬訪問は、訪問に際して何かとお世話になっているので、第1次・訪問の時から恒例にしてきたものです。
 訪問団の主要メンバーにとっては、ブルガリアに赴任する前に来広された竹田大使と交流してから1か月ぶりの再会となります。   会談では竹田大使から、EU加盟後のブルガリアの近況を教えていただき、大変参考になりました。
 

在ブルガリ日本大使館を訪れ、「第4次・ブルガリア訪問団の活動成果」を報告 
 訪問団一行は、今回のブルガリア訪問の交流活動を竹田大使に報告するためにっ在ブルガリア日本大使公邸を再訪しました。
 大使公邸では、竹田大使とご婦人が出迎えてくれ、訪問団一行が訪問した各都市での活動実績を紹介すると、「大変ご苦労様でした。これからは民間交流が益々重要になるので今後とも交流活動の推進を」と今後の持続的期待を寄せられました。
 さらに、竹田大使は「お疲れさまでした。今日は夕食にご招待します」と同大使公邸で晩餐会をしていただきました。
 晩餐会には、訪問団一行の他に、事前に大使から了承を得ていた、当協会が仲介して広島大学大学院で医学博士号を取得後に帰国した、ソフィア大学附属病院のナイチョフ心臓外科医も招待していただき、より充実したものになりました。    
 
ブルガリア科学アカデミー・電子工学棟を訪問 
 訪問団一行は、ソフィア市で合流した団員の田中理事(広島工業大学・准教授)が学術交流しているブルガリア科学アカデミー電子工学棟にムラデノフ教授とカチア准教授らを訪ねました。
 ムラデノフ教授らとは、初めに教授室で学術交流や同教授らの研究課題などの説明を受けました。
 次いで同教授は実験室に案内してくれ、実験装置や開発した超合金などを紹介してくれました。
 最後に今村会長から、今後の学術交流促進のために両氏に当協会の特別会員の就任をお願いると、願ってもないといってサイン入りの「特別会員就任・快諾書」を書いてくれました。        
 


学術交流の促進で、ソフィア医科大学を訪問 
  訪問団一行は、ブルガリアで最も歴史と権威のあるソフィア医科大学を訪問しました。 
 駐日ブルガリア大使館のセンドフ大使から紹介されてコルコフ外科部長・教授らと意見交換したものです。
 同医科大学では、コルコフ外科部長・教授とサハチョフ准教授ら
とブルガリアの医科大学の学部や附属病院などについて説明を受け、研究棟や病院を案内してもらいました。ました。
 今村団長からは、広島大学医学部との学術交流について質問し、希望があれば帰広してから広島大学医学部に伝えます、というと「是非、学術交流をしたいので宜しく」といわれました。 




 
首都・ソフィア市の市役所を訪問
 ソフィア市との交流は、2009年2月に広島市の県立美術館で開催された「よみがえる黄金文明展」に参加するために来広したフアンダゴヴァ副市長との交流がキッカケです。  広島市ではソフィア市のフアンダコヴァ副市長を、原爆資料館や平和公園、広島市内などに案内し、当協会で「歓迎交流会」を開き、親しく交流しました。     
 







 聖イヴァン・リルスキ乳幼児養護施設に「薬代」を贈る
 ソフィア市内にある聖イヴァン・リルスキー乳幼児養護施設との交流は、2006年の「第1次・ブルガリア訪問団」が在ブルガリア日本大使館にあいさつに行った際、同大使館の医務官から「ぜひ、支援してほしい」といわれて案内されてからのスタートしました。 
 同養護施設では0歳から3歳までの乳幼児を養・介護しています。
 旧ソ連圏であったブルガリアでは、福祉施設に対して冷遇していたようで、医務官から案内された同乳王子養護施設と伝染病隔離病院は、予算や人不足と劣悪な環境を見せられました。
 そこで2007年から、乳幼児施設を支援するために広島で福祉バザーを行い、薬(日本円で10万円相当)代を贈ってきました。
 




日本語教育のあるソ フ ィ ア 市 立 ・ 第 18 総 合 学 校 の 訪 問
 親日国のブルガリアでは、日本語を学ぶ大学や総合学校が多くあります。
 その中の一つソフィア市立・第18総合学校の日本語学科には2006年の第1次・ブルガリア訪問団の時から訪問し、交流を続けています。
 同校の一角には、日本の支援で「日本ブルガリア教育文化センター」 が建設され、日本語教育や日本の歴史や文化などを教えています。
 当協会は、広島大学日本語学科からの派遣教師の件で毎年、広島大学と同校との情報交換で訪問しています。     





 
第4次・ブルガリア訪問団の軌跡
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