ひろしま・ブルガリア協会 Hiroshima-Bulgaria Association
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2019年(平成31)年は、日本とブルガリアの「交流開始110周年」、「外交樹80周年」、「外交関係再開60周年」の【三つの周年】の年
           
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第2都市・プロブディフ 
 当協会は、「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」を開くなど、ブルガリアの第2都市・プロブディフ市でも様々な活動をしました。
    2011年5月 「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」(通算5回目) 2011年5月第7次・ブルガリ訪問団 活動     
 プロヴディフ市歴史博物館で「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」
2011年5月31日(火)〜6月23日(木) (通団5回目、5都市目)
主催:プロヴディフ市、ひろしま・ブルガリア協会 協力:プロヴディフ市歴史博物館、(財)広島市平和文化センター
 
プロヴディフ市歴史博物館
松井市長の平和メッセージ
を代読する今村会長

 
 松井市長のメッセージをアタナソフ市長に手渡す
     
  原爆展では今村会長が、広島市の松井市長からの平和メッセージを代読紹介して、プロヴディフ市のアタナソフ市長に手渡しました。 
「原爆ドームのタペストリー」をアタナソフ市長に

核兵器廃絶・恒久平和の意を込めたタペストリーを贈る
  続いて今村会長が松井市長から預かった「原爆ドームタペストリー」をアタナソフ市長に贈り「ヒロシマの心を凝縮し織り込んだた核兵器廃絶・恒久平和希求のシンボルです」と説明しました。
 
 さらに佐々木副会長から、協会からの贈り物ととしてひろしま現場鵜資料館の展示品を英日語で説明された「広島原爆記念館の図録」を贈りました。
佐々木副会長から「広島原
爆資料館の図録」を贈る
 
協会から「原爆資料館の図録」を贈る
あいさつするアタナソフ市長
 アタナソフ市長は、日本・広島からプロヴディフ市を訪ねて来てくれて、世界平和を願う「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」を開催してくれたことに謝意を表しました。

 
さらに同市長は、世界平和連帯都市にも加盟し、広島市とともに世界の恒久平和を進めたい、広島市の松井市長にくれぐれも宜しくお伝えください、などととあいさつしました。
原爆展の開催に謝意を表するアタナソフ市長
 
あいさつするアタナソフ市長と訪問団一行(左側の人たち
伊藤大使と共に被爆展示品を真剣に
見いるアタナソフ市長

 在ブルガリア日本大使館からは伊藤特別全権大使が参加され、日本・広島・長崎の原爆投下による悲惨な被爆被害について説明しながら、世界の歴史に残した残虐・悲惨な状況を見て、核兵器廃絶・恒久平和の大切さを学んで欲しいなどと、あいさつしました。 伊藤大使があいさつ
 
原爆被害のパネルを鑑賞する来館者
        
2011年5月31日(火) 「プロヴディフを読む祭り」に来賓として参加              
 プロヴディフ市庁舎前の広場で行われた「プロヴディフ市を読む祭り」に来賓として参加した第7次・ブルガリア訪問団は、団代表として今村団長が在ブルガリア日本大使の伊藤全権大使らと共に舞台の上に登壇し、参集したプロヴディフの子供や市人に紹介されました。

 また、訪問団一行は、会場に来ていたアナタノフ市長にあいさつし、しばし会話しました。 
噴水もある市庁舎前広場

噴水を挟んで手前に舞台が接しされた
伊藤特命全権大使と共に登壇した訪問団代表

プロウディフについて書いた本の読書を
進めるための年1回の祭りの舞台
アタナソフ市長にあいさつ

アタナソフ市長(右)にあいさつする佐々木副会長ら
プロヴディフ市庁舎にアタナソフ市長を表敬訪問
市長不在のためにゴゴヴァ副市長が対応
ゴゴヴァ副市長と再会

約半年ぶりに再会したゴゴヴァ副市長と会見
    第7次・ブルガリア訪問団2011年5月30日、プロヴディフ市役所にアタナソフ市長を訪ねましたが不在だったので、昨年11月に第6次・ブルガリア訪問団として会ったゴゴヴァ副市長と再会しました。

 
まず協会からは、これまでの「訪問団記録集」を贈るとともに、今回の「ヒロシマ・ナガサキ原爆展の開催」の謝礼を伝えました。

 これに対してプロヴディフ市側からは、アナタソフ市長が他の行事で出かけていることを説明しながら、「明日、市庁舎前広場で開催される「プロヴディフ市を読む祭り」に来賓として参加してください」と招待を受け、快諾しました。

 また、プロフディフ市長からとして、
ローマ円形劇場をモチーフンした「市のバッチ」と同市紹介の「写真集」をいただきました。
 円形劇場をモチーフにしたプロヴディフ市のバッチ

プロヴディフ市のバッチをいただく訪問団メンバー
プロヴディフ市の紹介写真集

プロヴディフ市んの紹介写真集をいただく 
2010年11月1日  第6次・ブルガリア訪問        
プロヴディフ市役所を表敬訪問
ゴゴヴァ副市長が「2011年にヒロシマ・ナガサキ原爆展の開催」を約束
    第6次・ブルガリア訪問団(団長・今村功会長、3人)は、プロヴディフ市役所に市長を訪ねたが、市長不在のためにゴゴヴァ副市長が対応してくれましたしました。
 

 席上、今村団長と広島大学原爆放射線医科学研究所の前所長・鈴木文男特任教授らは、まず松井広島市長からの平和のメッセージと平和都市連帯への加盟案内書、原爆ドームのパテストリーを手渡しました。


プロヴディフ市庁舎
 
ゴゴヴァ副市長と記念写真

(左から)今村団長、ゴゴヴァ副市長、鈴木前所長 
 次いで今村団長らは、これまでカザンラックやルセなどの市でヒロシマ・ナガサキ原爆展を開催してきた経緯などを説明して「来年にプロヴディフで『ヒロシマ・ナガサキ原爆展』の開催を」と申し入れました。


 これに対しいゴゴヴァ副市長は、「来年2011年に原爆展を開催します」と約束し、具体的な開催日時等については連絡し合いましょう、という事になりました。
2009年6月4日    第5次・ブルガリア訪問団             
  プロヴディフ市内を見学 
同市のダビトヴァ学芸員から「原爆展は2011年開催できる」と聞く
ローマの円形劇場跡
    プロヴディフ市の旧市街の断崖の上にあるローマ時代の半円形劇場。

 3000人が収容できる立派な劇場で保存状態も良く夏に野外劇が行われている。

 遠くにはロドビ山脈も見え、市街地が一望できるロケーションで、すぐ隣り(後ろ)には、お案額アカデミーがあり、クラシック音楽が聞こえてくる。 

 小さな売店と休憩椅子とテーブルもあり、ゆっくりと休めるようになっている
   2009年2月21日、プロヴディフ市の市立・歴史博物館の学芸員・ダビトヴァさんが、広島市の県立美術館で開かれた「ブルガリア・トラキアの『よみがえる黄金文明展』」オープニングに参加され、会場で交流しました。

 そこで今回、第5次・ブルガリア訪問団は2009年6月4日、プロヴディフ市を訪問した際にダビトヴァさんに連絡を取り再会、市内を案内していただきました(写真下)

 ダビトヴァさんは、考古博物館が現在リニューアル中なので、2011年にヒロシマ・ナガサキ原爆展を開催できると思います、と言いました。
プロヴディフの市街地

円形劇場などがある小高い丘から見た新市街地
プロヴディフ市歴史博物館の
ダビトヴァ学芸員と再会

 
ダビトヴァさん(左から2人目)と再会し、「考古博物館が
リニュアル中なので2011年に開始できる」など
と聞く訪問団メンバー
 旧市街地には多くの豪華建築物があるが、中でも一番美しい豪邸は、1847年にイスタンブール出身のハジ・ゲオルギが建てた屋敷です(写真下)

 波形の屋根と白枠の大きな窓、花模様が描かれた黒を基調とした外壁などが美しく目を引く。

 現在は民俗博物館となっており、当時の民族衣装やブルガリアのバグパイプ、家具調度品などが展示されている。
民俗博物館

バロック様式と民族復興様式がミックスされた美しい建物
ブルガリアの伝統的な家屋
ラマルティール博物館


通りを広くするために上階ほど大きくなっている家屋
 小さな国のブルガリアでは、狭い町に家を建てるので、1階が小さく上階に上がるに従って大きく造られている。

 これは、1階部分の道路を広くとるために考えられた建築方法だ、という。

 写真はの家屋は円形劇場から降りる途中にあり、フランスの作家・ラマルティーヌが1833年に住んだ家で、彼の原稿や旅行した異国の町の資料などが展示され、ブルガリアの詩人やライターのための会合が開かれている、という。
 民俗博物館前の石畳の坂道を下ると両側の建物と門が石造り要塞門「ヒサル・カピア」が現れる。

 紀元前4世紀にマケドニアのフィリップ2世によって建造されたもので、丘の上にあったトラキア人の要塞「ネベ・テペ」(現在、基礎の石積みの一部が残っている遺跡)を中心都市た旧市街地を守るために造られた、という。

 ローマ、オスマン朝と支配者が変わるごとに、破壊と復興が繰り返されてきた”歴史の証人”と言える門だ。
紀元前4世紀に建造のヒサル・カピア(要塞門)
原爆展報告書(*下をクリックすると詳細な報告書が出てきます)
1.表紙・目次   2.01p〜15p   3.16p〜30p   4.31p〜45p   5.46p〜60p  6.61p〜68p
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