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世 界 文 化 遺 産 | ||||||||||||||
ボヤナ教会 | マダラの騎士像 | カザンラックの トラキア人墳墓 |
イヴァノヴォの 岩 窟 聖 堂 |
ブルガリア正教の 総本山・リラの僧院 |
スベシュタリの トラキア人の墳墓 |
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世 界 自 然 遺 産 | ||||||||||||||
1.ピリン国立公園(1983年) | 2.スレバルナ自然保護区(1983年) | |||||||||||||
世界文化遺産 6 古代都市・ネセバル(1983年12月に登録) | ||||||||||||||
☆黒海に突き出した小さな出島 黒海に突き出したような東西約800m、南北300m〜200mの小さな出島で、陸とは、長さ400mの細い道でとつながっている。 古代より海に囲まれた天然の要塞として、またドナウ川沿いの都市とコンスタンチンノーブルとの中継地として長い間、争奪の対象となってきた。 ☆歴史は紀元前2000年から ネセバルの歴史は、紀元前2000年からトラキア人が居住して始まり当時、「メナンブリア」と呼ばれた。 |
古代都市・ネセバルの地図![]() |
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古代都市・ネセバルの全景![]() |
☆紀元前5世紀にはギリシャ人が入植 この出島には、紀元前5世紀にはギリシャ人が入植し、「メセンブリア」に変名。紀元前1世紀にはローマ帝国に、さらに5世紀前後には初期ビザンツ帝国の支配下になった。 ☆黒海に浮かぶ「夏の首都」 古代都市・ネセバルは現在、ブルガリアの第3都市で「夏の首都」といわれる黒海沿岸都市・ヴァルナ(人口約30万人)から南約100km、空港のあるブルガスから北北東に約35kmに位置している。 |
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歴 史 [編集]
紀元前2千年紀に興ったメナブリア (Menebria) という名のトラキア人の集落であり、メガラ (Megara) からきたドーリア人によって紀元前6世紀初頭にギリシャ植民地となった。以降、重要な交易拠点として、アポロニア(ソゾポル)のライバルとなった。
町は紀元前71年にローマ帝国の支配下となるが、その後も独自のコインの鋳造など以前からの特権は守られた。町は紀元後5世紀以降のビザンティン帝国時代には最も重要な要塞のひとつとなり、ビザンティンと第一次ブルガリア帝国の間の戦闘が行われた。 |
陸地とネセバルをむずぶ長さ400mの細い道の入口 にあるシンボル・18世紀中ごろの風車 ![]() |
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古代都市・ネセバル入口のの要塞![]() |
☆多国籍人が住む国際都市 城壁に囲まれた同島の中には、アクロポリスや神殿跡、10〜14世紀のビザンチン様式の聖ステファン教会、ヨハネ教会、大主教教会などが散在し、遺跡の島といえる。 |
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聖 堂 [編集] ネセバルは、時に最も面積あたりの聖堂の数の多い街といわれる[1][2]。これはおそらく事実に反するが、それでもなおネセバルに立ち並ぶ多様な聖堂は特筆すべきものである。その代表的な聖堂には次のようなものがある。
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全能者ハリストス聖堂 (13世紀-14世紀) ![]() |
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新 主 教 区 聖ステファン聖堂 (11世紀。16世紀-18世紀に修復) ![]() |
オスマントルコの支配下に 1878年の露土戦争でロシアが勝利し、オスマントルコから解放されたが、この間、オスマントルコ朝の政策がキリスト教に寛容だったために、歴史的な建造物が破壊されずに多く残っている。 |
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ネセバル(ブルガリア語Несебър、Nesebar)、あるいはネセブルは古代都市であり、現在では海岸沿いのリゾート地となっているブルガス州町、およびそれを中心とした基礎自治体。 トラキア語の名称はメネブリア (Menebria)、現代ギリシャ語はメシンヴリア (Μεσημβρια、Mesimvria)、かつての名称はメセンブリア (Mesembria) である。ネセバルは3千年紀を超える長い歴史に裏付けられた、豊かな都市博物館である。 ネセバルの古代都市は、細長い人口の地峡によって大陸部とつながった半島(かつては完全な島であった)の上に築かれ、その地形ゆえに多くの異なる文明による征服から逃れてきた。その豊富な歴史的建造物の存在により、ネセバルは1983年にUNESCOの世界遺産に登録された。 |
聖ステファン聖堂の内部 ![]() |
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5世紀半〜6世紀のビザンツ帝国時代に建造された ネセバル最古の教会・聖ソフィア教会 ![]() |
ネセバルの繁栄・絶頂期は、第2次ブルガリア帝国時代で、イタリアのヴェネツィアなどと貿易を展開し、ブルガリア人、ギリシャ人、イタリア人、ユダヤ人などが共存する国際色豊かな町になっていった。 第二次ブルガリア帝国の時代もまた、ネセバルはブルガリアとビザンティンの争いの的となり、ブルガリア帝国のイヴァン・アレクサンダル帝(在位1331年-1371年)の支配下で反映を謳歌したが、サヴォイ泊アマデウス6世 率いる十字軍に征服された。 1366年に町はビザンティンの支配下に復する。町のスラヴ語名称であるネセバル (Nesebar)、あるいはメセバル (Mesebar) の名は11世紀以降使われていたことが明らかにされている。 |
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ブルガリア解放以降は、ネセバルはオスマン帝国の自治州である「東ルメリ自治州」の一部となり、後の1886年に同自治州がブルガリアに併合されたことにより、ブルガリア領となった。 19世紀の末には、ネセバルはギリシャ人の漁民、ワイン生産者の住む小さな村となっていたが、20世紀に入ってからはブルガリアの沿岸部リゾートの要として開発が進められた。1925年の住民交換によりギリシャ人が追放されてから新市街が建設され、歴史的地区は修復された。 |
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要 塞![]() |
ビザンティン帝国時代、ブルガリア帝国時代、オスマン帝国時代のいずれに建てられたものも 、ネセバルの聖堂群は、「正教会」における重要な建築遺跡であり、初期キリスト教様式から中世のクロス・ドーム様式への変遷の過程を見ることが出来る。 |
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世界遺産登録基準 [編集] この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
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ネ セ バ ル 考 古 博 物 館 | ||||||||||||||
考古博物館の見取り図![]() |
☆考古博物館は訪れてみたい所 ネセバルの入口を入るとすぐ右側に考古博物館がある。 同博物館には、ネセバルで発掘された様々な品物が展示され、ネセバルの歴史を垣間見ることができる。 |
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遺跡に埋もれたような考古博物館![]() |
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ネセバルの歴史を展示した考古博物館![]() |
博物館の内部![]() |
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時代によって図柄や色彩が変化したイコン (考古博物館の地下1階) | ||||||||||||||
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☆収集されたイコンは必見 考古博物館の地下1階には17世紀の数多くのイコンが展示されている。 時代によって、図柄や色彩の変化が伺える。 |
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ネセバルで発掘 された黄金製品 ![]() ![]() ![]() |
ネセバルで発見された器やつぼ![]() ![]() |
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ネセバルで発掘された銀コイン![]() |
女 性 の 石 像![]() ![]() ![]() |
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当時の生活様式を彫り込んだ石板(中) ![]() ![]() ![]() 当時の髪型が分かる男性の顔(左右) |
筋肉質な男性の像 ![]() |
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☆黒海沿岸都市はブルガリアのリゾート地域 ネセバルが黒海で最も顕著な旅行先であり、リゾート地である。ネセバルには多くのリゾート拠点があるが、その中で最大のものは町のすぐ北に位置しているサニー・ビーチである。 |
古代都市・ネセバルの対岸にあるリゾート・ホテル群![]() |
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1983年12月に世界遺産に![]() |
文化遺産(7か所) 1.ボヤナ教会(1979年10月) 2.マダラの騎士像(1979年10月) 3.カザンラックのトラキア人の墳墓(1979年10月) 4.イヴァノヴォノ岩窟寺院(1979年10月) 5.古代都市・ネセバル(1983年12月) 6.ブルガリア正教の総本山・リラの僧院(1983年12月) 7.スベシュタリのトラキア人墳墓(1985年12月) 自然遺産(2か所) 1.スレナルバの自然保護区(1983年12月) 2.ピリン国立公園(1983年12月) |
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