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文 化 遺 産 7か所 (指定年) | ||||||||||||||
ボヤナ教会 | マダラの騎士像 | カザンラックの トラキア人墳墓 |
古代都市・ ネセバル |
ブルガリア正教の 総本山・リラの僧院 |
スベシュタリの トラキア人の墳墓 |
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自 然 遺 産 2か所(指定年) | ||||||||||||||
1.ピリン国立公園(1983年) | 2.スレバルナ自然保護区(1983年) | |||||||||||||
世 界 遺 産 4 イヴァノヴォの岩窟聖堂 (1979年10月) |
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岩窟聖堂・教会の周辺地図 *クリックすると大きくなります。 ![]() ルセンスキ・ロム川沿いの断崖に点在する岩窟聖堂・教会 |
イヴァノヴォの岩窟教会群は、北ブルガリア、ドナウ川沿いのルセ市18km南に、イヴァノヴォ村に近くにある。他のブルガリアの岩窟教会と違って、フレスコ画がよく保存されている。 岩を刳り貫いて作られた聖堂などの建造物群は、大きな修道院を成している。この地方の洞窟群には、後のブルガリア正教会総主教ヨアキムが居を定めた1320年代以降17世紀まで、修道士たちが住むようになっていた。 彼らは、僧房、教会群、礼拝堂などを硬い岩から切り出しており、修道院建造物群はおよそ40もの教会群を頂点に戴いていた。その周りには、他の宗教施設用地が 300ほどあったが、そのほとんどは現存していない。 修道院の建築物群の名声は、その多くを13世紀から14世紀にかけてのフレスコ画に負っている。それらは教会群の内の5つの教会に保存されており、中世ブルガリア美術の傑作として評価されている。 |
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イヴァノヴォの岩窟教会群(Ивановски скални църкви, Ivanovski skalni tsarkvi)は、ブルガリアにある岩を刳り貫いて作られた聖堂、修道院などの建造物群をさすユネスコの世界遺産としての登録名。 ルセ州イヴァノヴォ村に近く、ルーセの南20 km にあたるルセンスキ・ロム川沿いにそびえる岩だらけの堤にある(川からの標高は32 m である)。この教会群は、保存状態の良い美しい中世のフレスコ画で知られている。 この地方の岩窟群には、後のブルガリア正教会総主教ヨアキムが居を定めた1320年代以降17世紀まで、修道士たちが住むようになっていた。 |
断崖の中腹に造られている岩窟聖堂![]() |
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岩 窟 聖 堂![]() 切り立った断崖の上部に造られた岩窟聖堂 |
岩窟聖堂や教会群は、切り立った崖の上部(地上30m前後)に掘って造られている。中でも聖堂には、細い登山道を歩いて登らなければならない。 現在は、途中から鉄製に階段が設置されていて、比較的登りやすくなっているが、聖堂の入り口まで行くのには、息切れがしてくる程、険しい。 |
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世界遺産の岩窟聖堂への入口![]() 人ひとりがやっと入れる入口 |
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岩窟聖堂の内部![]() 断崖に堀り抜いて造られている岩窟教会 |
教会群に残る肖像画からも明らかなように、イヴァン・アレクサンデル(Ivan Alexander)やイヴァン・アセン2世といった第2次ブルガリア帝国の皇帝たちは、この教会群に頻繁に寄進を行った。 14世紀にはブルガリア一帯のヘシカズム(hesychasm)の中心地となり、オスマン帝国に組み込まれた当初も存続し続けたが、漸次衰退していった。 |
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岩窟聖堂のベランダ![]() 聖堂の奥に造られているベランダ |
岩窟聖堂のベランダからの光景![]() 高さ約30mの岩窟聖堂ベランダからの風景 |
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修道院の建築物群の名声は、その多くを13世紀から14世紀にかけてのフレスコ画に負っている。それらは教会群の内の5つの教会に保存されており、中世ブルガリア美術の傑作として評価されている。 岩窟施設群は修道士たちに使われていたもので、大天使聖ミカエル礼拝堂、洗礼堂、Gospodev Dol礼拝堂、聖テオドルス礼拝堂や、中心となる聖母教会などを含んでいた。 |
岩窟聖堂の天井画![]() ひろしま・ブルガリア訪問団が視察 |
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ブルガリ正教の壁画 ![]() 壁 画 |
特に聖母教会に残る14世紀の壁画はおそらく最も有名なもので、かつPalaeologan美術の最も優れた例証とされている。 修道院群の敷地内には、同様に何世紀も経た碑文が残されている。 その中でも有名なのは、1308年から1309年に修道士イヴォ・グラマティク(Ivo Gramatik)によって書かれたものである。 |
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世 界 遺 産 [編集] イヴァノヴォの岩窟教会群は、その壁画の素晴らしさが評価されて、1979年にユネスコの世界遺産に登録された。
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崩壊が続いている聖堂内部![]() 剥げ落ちている聖人の壁画 |
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天井には大きな亀裂![]() 天井には最大幅30cm前後の亀裂が走り、 崩壊が心配されている |
イヴァノヴァ岩窟聖堂は、コンクリートや鉄などを使用しないで、断崖の岩肌を掘って造っているが、固い岩肌でないためか、室内には幅30cm前後のヒビ割れが数本走っている。 このまま放置していると、やがては崩壊する、と思われ、早急な保護対策が望まれている。 |
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ブルガリアでは、今から5千年前から始まったトラキアの黄金文明時代の墳墓や遺跡などの発掘調査などに対して日本からの調査団が派遣されてきた。しかし、イヴァノヴァ岩窟聖堂・教会群に対しては、調査や保護対策などに協力していない。 1989年末にソ連(現ロシア)共産圏から無血革命で自由民主主義に移行ブルガリアは、2007年1月にEUに加盟したが、実態経済はいまだに発展途上国といえる状況。 世界遺産の保存対策を今、ブルガリアで望むのは難しい、と思われる。日本からの保護対策支援が望まれている。 |
天井に走る大きなひび割れ![]() かなり深い天井のヒビ割れ |
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聖堂内からの出入り口![]() 木の階段が設置されている入口内部 |
断崖の高さ30m前後に造られている岩窟教会群![]() 断崖の至る所に掘られている修行僧の岩窟 |
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断崖に掘られた無数の岩窟教会![]() 世界遺産の岩窟協会を出た高台の対岸の断崖には 無数の岩窟教会が掘られている |
文化遺産(7か所) 1.ボヤナ教会(1979年10月) 2.マダラの騎士像(1979年10月) 3.カザンラックのトラキア人の墳墓(1979年10月) 4.イヴァノヴォの岩窟聖堂(1979年10月) 5.ネセバル(1983年12月) 6.リラの僧院(1983年12月) 7.スベシュタリのトラキア人の墳墓(1985年12月) 自然遺産(2か所) 1.スレバルナの自然保護区(1983年12月) 2.ピリン国立公園(1983年12月) |
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