ひろしま・ブルガリア協会 Hiroshima-Bulgaria Association

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2019年(平成31)年は、日本とブルガリアの「交流開始110周年」、「外交樹80周年」、「外交関係再開60周年」の【三つの周年】の年
           
あなたは     jpeg 番目のお客さま                 
   世 界 文 化 遺 産  7か所(指定年月)
 マダラの騎士像 カザンラックの
トラキア人墳墓
イヴァノヴォ
の岩窟聖堂
古代都市
ネセバル
ブルガリア正教の
総本山リラの僧院
 
スベシュタリの
トラキア人墓地
世 界 自 然 遺 産  2か所(指定年月)
  1.スレバルナの自然保護区(1983年12月)      2.ピリン国立公園(1983年12月)

           世 界 文 化 遺 産   ボ ヤ ナ 教 会  (1979年10月指定)         

ボヤナ教会の入り口

ボヤナ教会の入口・第3聖堂で順番を待つ第1次・訪問団員

 
壁画を傷めないように、見学は10人ずつ行われる
  ☆首都・ソフィアから南西に8k
 
首都・ソフィアから南西に約8kmのヴィトシャ山の山麓にある教会。
 
同教会は、11世紀(1048年)に創建された聖ニコラウス聖堂の後、13世紀(1259年)の聖パンティレイモン聖堂と19世紀(1845年)の第3聖堂の3つの時代に引き続いて増築された。

ボヤナ協会・図面
7か所
右棟・聖ニコラウス聖堂(11世紀初頭)、
中央棟・聖パンティレイモン教会(13世紀)、
左棟(入口棟)・第3聖堂(19世紀)
 

(右端)11世紀(1048年)の2階建ての
聖ニコラウス聖堂


(中央)13世紀(1259年)の聖パンティレイモン聖堂
(左端)19世紀築の第3聖堂
        ☆内壁には見事な壁画
 
それぞれの時代建築の特徴を残し、
内壁には見事なフレスコ画が描かれている。

   ☆聖パンティレイモン教会のフレスコ画が貴重

 
中でも中央の聖パンティレイモン教会部分は、第2・ブルガリア帝国時代に建てられたもので、内壁にはビザンチン様式の約90フレスコ画で覆われている。

 
「最後の晩餐」や「受胎告知」などの壁画が貴重なものといわれる。

       ☆聖人の表情が全て違う

 
ま た、入口から一番奥の壁画は、
同教会の中で一番古いものだが、天井壁画の聖人の表情がそれぞれ違い、細かく描かれており、高く評価されている。

   ☆壁画保護のために1度に10人、10分間の入場

 
入場は、
人の息や体温などから壁画を守るために、1回につき10人で10分毎に交代するようになっている。
断 面

(左から)正面入り口棟・第3聖堂(19世紀)、
中央棟・聖パンティレイモン教会(18世紀)、
奥棟・聖ニコラウス聖堂(11世紀初頭)

ボヤナ教会の右側面。(右から)奥棟・聖ニコラウス聖堂(11世紀初頭)、
中央棟・聖パンティレイモン教会(18世紀)、
正面入口棟(19世紀)と3世代に引き続いて増設されてきた
  首都ソフィア郊外のボヤナ地区に建っている2階建ての聖ニコラウス聖堂(教会堂は)11世紀に建てられ、その後、第2次ブルガリア帝国の下で13世紀に中央棟が加えられた。 
 
 
教会の壁に様々な時代の壁画が重なっているが最も有名なのは1259年に描かれたフレスコ壁画である。

 
フレスコ壁画とは壁に漆喰(壁土)を塗り、その漆喰がまだ乾いていないうちに水または石灰水で溶いた染料で描かく絵なのでやり直しが効かないため(失敗した場合は漆喰をかき落とし、やり直すほかはない)、高度な計画と技術力を必要とする。

 13世紀のフレスコ画では240人の人物像が描かれており、そのうち最も印象的なのは教会の建築に大きく寄付した貴族カロヤン (севастократор Калоян)とその妻デシスラヴァ(Десислава)、あるいはブルガリア皇帝のコンスタンティン1世と皇妃イリーナの肖像画である。


 ボヤナ教会(Боянска църква, Boyanska tsarkva)は、ブルガリアの首都ソフィア郊外のボヤナ地区に建っているブルガリア正教会教会堂である。

 2階建ての教会の東翼は、元々10世紀後半ないし11世紀初頭に建てられたものであり、その後、第2次ブルガリア帝国の下で13世紀に中央棟が加えられた。
 

 西翼がさらに拡張され、
現存する形が完成したのは19世紀半ばのことであった。

 
それぞれの時代の姿をとどめつつ美しい調和を保っているこの教会は、1979年にユネスコ世界遺産に登録された。

正面入口から東側からの景観

右が正面入口棟・第3聖堂(19世紀・建設)、
中央棟・聖パンティレイモン教会(18世紀・建造)、
左が奥棟・聖ニコラウス聖堂(11世紀初頭・建造)
11世紀(1048年)に創建された
一番古い聖ニコラウス聖堂


正面入口棟から一番奥の棟(裏側)
 その肖像画には、貴族カロヤン(Sebastocrator Kaloyan)とその妻デシスラヴァ(Desislava)、あるいはブルガリア皇帝のコンスタンティン1世Konstantin I)と皇妃イリーナなどを描いたものがある。

 

 
教会には、断片的にしか見られなくなっている11世紀から12世紀に描かれた最初のフレスコ画、1259年から上書きされた二番目の有名なフレスコ画のほか、わずかではあるが、14世紀、16-17世紀、さらには1882年に描かれたフレスコ画なども残っている。

 

 1912年から1915年にかけて
オーストリアやブルガリアの専門家によってフレスコ画の修復と浄化が行われ、1934年と1944年にも同様の維持活動が行われた。
 

 
教会は1979年にユネスコ世界遺産に加えられたが、先んずる1977年からは保全と修復を理由に一般の立ち入りが禁止された。この禁止措置は2000年に解除され、再び一般に開かれるようになった。

 この教会の世界的な知名度は、主として1259年に遡るフレスコ画に負っている。それらは元来、より早い時期に描かれていたフレスコ画の上に上書きされたものであるが、東ヨーロッパの中世美術のなかでも、最も完全で保存状態の良いものである。
 

 
それらの壁画は教会の壁面に描かれており、240人の人物像によって89の場面が展開されている。作者は不明であるが、タルノヴォ派(Tarnovo Art School)の流れを汲む人物と考えられている。

 
 
拝廊にある18場面は聖ニコラオスの生涯を描いている。ここでは、描き手が同時代の視座で描いているものもある。「海での奇跡」では、船と水夫の帽子がヴェネツィアの艦船を思わせる。
 
 
また、教会の北壁に描かれたこの教会のパトロンたちの肖像画群は、教会のフレスコ画の中でも最も印象的で真に迫るものである。

最古の区画である東翼にあるフレスコ画

キリストを抱くマリア像と使途ヨハネなどの福音書記者

聖ニコラオスのフレスコ画

         建 築 [編集]

 ボヤナ教会の建造は10世紀後半から11世紀初頭、13世紀半ば、19世紀半ばの3段階に分けることができる。


 
最古の部分である東翼の教会は、後陣を一つ持つ交差ヴォールト式の小さな教会で、十字架状の支えが作り付けられている。この建造は10世紀後半から11世紀初頭のことであった。

 東翼に接合された二番目の区画はカロヤン夫妻の要請で建てられたもので、13世紀半ばのものである。この建物は2階建てで墓所と教会が一体になったものである。

 
1階は家族の墓所となっており、半円筒状のヴォールトを持ち、南北の壁にはそれぞれアルコソリウム(arcosolium)がある。2階は東翼の教会と同一の設計による家族の礼拝堂になっている。外装には陶製の装飾が施されている。


 
最後に加えられた区画は、19世紀半ばに地元の共同体の寄付によって建てられた。

       フレスコ画 [編集]

        第一層 [編集]

 もともとは東翼の教会全体を飾っていたフレスコ画の第一層は、11世紀から12世紀に遡るものである。それらはわずかな断片として、後陣や北壁の下の方、西壁や南のヴォールトの上の方などに、今でも残っている。

          第二層 [編集]

 中央棟北壁の寄贈者の碑文に拠れば、フレスコ画第一層に上書きされた第二層は1259年に遡る。製作した集団は未詳だが、カロヤンの要請で建てられた中央棟の上下階を装飾したのと同じ集団だったようである。

 ボヤナ教会が世界的な知名度を持っているのは、何にもましてこの第二層が中世ブルガリア文化のひとつの到達点を鮮やかに示していることに負っている。

 
ここに描かれた240人を超える登場人物たちは、めいめい異なった個性を示し、心理的な内面や生命力を窺わせるものとなっている。

 
フレスコ画は、787年にニカイアで開催された第七全地公会で確立されたイコンを描く際の規律に従って描かれている。

 カロヤンと妻デシスラヴァの
フレスコ画

カロヤンの妻デシスラヴァの
フレスコ画

 最古の区画である東翼にあるフレスコ画には、丸天井に描かれた「全能者ハリストス」(Christ Pantocrator)などが含まれている。その下の巻き胴には多くの天使たちが描かれ、隅折上げ(pendentives)には4人の福音書記者、すなわちマルコマタイルカ使徒ヨハネが描かれている。また、アーチの表面は4種のハリストス像で飾られている。

 
 
続いて主要な祝日やハリストス受難の場面が描かれており、1階の諸聖人の全身像の中には、10人の戦う聖人(warrior saints)が描かれている。
 
 また、聖餐台の丸屋根には大天使たちに囲まれた聖処女(The Virgin Enthroned)が、そしてその下には、4人の教父聖大ワシリイ神学者グリゴリイ金口イオアン総主教ゲルマヌス)がそれぞれ描かれている。

  聖餐台脇のフレスコ画には、首輔祭のラウレンティウス、エウプリウス、ステペンと、教会の守護聖人である聖ニコラオスが描かれている。ニコラオスは最も有名な聖人の一人で、水夫、商人、銀行家などの守護聖人である。

 
 
聖ニコラオスの生涯は、中央棟の拝廊の18場面に描かれている。これを手がけた描き手は、それらの情景の中に同時代の諸要素を取り込み、表情をはじめ、非常に写実的に描かれている。拝廊入り口上部の半円壁画には、聖母と幼子、聖アンナ、聖ヨアキム、祝福するハリストスが描かれている。

 
壁の下段には、聖カタリナ、聖マルティナ、聖テオドルス、聖パコミウスが描かれている。


 
南のアルコソリウムには律法学者と論争するイイスス(イエス)が、北のものには聖母の奉献がそれぞれ描かれている。拝廊には、2人の非常に崇敬されていたブルガリアの聖人、リラの聖ヨハネと聖パラスケヴァも描かれており、ことに前者はこの聖人を描いた現存最古の絵画である。また、そこには修道士たちの中から現れる隠者、シリアのエフレムも描かれている。

ユネスコの世界遺産登録銘板

 寄進者であるカロヤン夫妻、ブルガリア皇帝コンスタンティン1世夫妻の生き生きとした肖像画は、卓抜な技術と感性で描かれたもので、ブルガリア史上の人物画としては最古の部類に属する。


 
「ボヤナの巨匠」(Boyana Master)という名は、タルノヴォ画派のアトリエで技芸を修め、教会を飾り立てた未知の集団を指す名称として用いられる。彼らが手がけたフレスコ画は、欠点のない技術、心理的深層、複雑性、写実主義といった点で、真に傑作と呼ぶにふさわしいものと評価されている。
 
 ボヤナ教会は、13世紀以降のタルノヴォ画派の作品としては、全体が残っている唯一にして最高の記念碑といえるのである。

 
 
専門の第一人者たちに拠れば、ボヤナ教会のフレスコ画は、その後の中世ブルガリア絵画、ひいてはヨーロッパ絵画の発展において重要な役割を演じたのである。

       後代のフレスコ画群 [編集]

 教会の中には、さらに後の時代に上塗りされたものもあり、それらの多くが現存している


 
後代のフレスコ画には、14世紀に描かれた聖母の奉献(the Presentation of the Virgin)、16世紀から17世紀に描かれた聖ニコラオスの肖像画、1882年に描かれたボヤナ教会の2人の守護聖人聖ニコラオス聖パンテレイモンなどが含まれている。

        登録基準 [編集]

 この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。

  • (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
  • (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
文 化 遺 産(7か所)

 
1.ボヤナ協会(1979年10月)


  
2.マダラの騎士像(1979年10月)

  3.カザンラックのトラキア人墳墓(1,979年10月)

  4.イヴァノヴォの岩窟寺院(1979年10月)

  5.古代都市・ネセバル(1983年12月)

  6.ブルガリア正教総本山・リラの僧院(1983年12月)

  7.スベシュタリのトラキア人の墳墓(1985年12月)
自 然 遺 産(2か所)

1.スレバルナの自然保護区(1983年12月)


2.ピリン国立公園(1983年12月)
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