ひろしま・ブルガリア協会 Hiroshima-Bulgaria Association
協会発足経緯
☆「なぜ、広島にブルガリア協会を創ったのか。
ブルガリアと広島にどんな関係があるのか」と多くの方から質問されてきました。
そこで、協会設立までの経緯を簡単に紹介します。

 ☆協会設立の直接のキッカケは、今村功氏(現会長)が 2005 年 3 月 17 日、福山ブルガリア協会(1997年12月設立)の浅野洋二幹事長(現、当協会・相談役)から誘われて「ブルガリア・国民議会のエフゲニア・ジフコヴァ議員との懇談会」に参加した際、同協会の中村秀美会長(現、最高顧問)と浅野幹事長から、「福山を訪れたブルガリアからの要人を広島の平和公園や宮島に案内しないといけない。これまでは福山ブルガリア協会のメンバーが案内してきたが、広島にブルガリア協会を創って連携してもらえば助かる」と協会の設立を頼まれたことからだった。

 
 ☆今村氏は、
「協会設立のお手伝いをさせていただきます」と約束した。なぜ、同氏が即答したかというと、「人生に偶然はない。全て必然だ」「縁は大切に」を人生観の中に持って生きてきたからだ、という。

 ☆同年 2 月末まで新聞記者だった同氏は、1999年10月に福山市で開かれた「世界遺産講演会・国際シンポジウム」を取材して以来、同協会との付き合いが深まり、福山を訪問したブルガリアからの要人の広島平和公園・平和記念資料館などの訪問の際、案内役や写真班を引き受けていた。

 さらに、さかのぼれば同氏は、 1994年11月、岡山市立オリエント美術館で開かれた「トラキア黄金展」を取材し、報道したことを通してブルガリアの歴史と文化に深く感銘を受けていた。

 加えて、1977年に青年訪中団に参加して以来、広島の海外留学生(インド、中国、バングラデシュ、インドネシア、タイ、ユーゴスラビア=当時、カナダなど)との交流と支援を進めながら同留学生とともに「HIES」(広島国際交流市民の会)を立ち上げて、中国語や英語、各国料理の教室の開催や交流会などを進めてきただけに、協会設立や運営などのノウハウに精通していた―などの下地にあったからだった。

ひろしま・ブルガリア協会の設立総会

 東京の駐日ブルガリア共和国大使館・特命全権大使の
ブラゴヴェスト・センドフ閣下を迎えての協会設立総会

(2005年7月8日、広島市中区の広島県民文化センター)
設立記念パーティーであいさつするセンドフ大使

(2005年7月8日、広島市中区の広島県民文化センター)

 ☆2005年4月2日、福山ブルガリア協会の呼掛けにより、ひろしま国際センター(広島市中区 )で第 1回・「ひろしま・ブルガリア協会・設立準備委員会」を開いた。集まったのは、福山ブルガリア協会の福山在住の役員(2人)と広島市在住の関係者(3人)と今村氏だけで、広島市在住の参加者の中で同設立準備委員会メンバーになったのは1人だけだった。

 
 同準備委員会の終了後、今村氏は自らの友人・知人に呼び掛けて同設立準備委員会の賛同者を集めて創設しようと決意し、誰から声を掛けようかと考えながら 中区 紙屋町の歩道を歩いていた。

 
その時、旧知の樺国放送・顧問の佐々木典明氏にばったり会う。同氏は、 25年前に取材でブルガリアに 35日間も滞在した、帰国後に協会設立に奔走したが機が熟さず創設できなかった、素晴らしい国だったのでもう 1度、訪問したいと思っていた、と述懐した。同氏は、喜んで最初の呼掛け人になり、初代・代表理事に就任した。
 
 初代会長には、
アルゲン・マーリン副大統領の来広時に経済セミナー、広島修道大学での記念講演などの各行事の同時通訳をした英語通訳者・海生郁子さんとの縁からご主人の広島修道大学教授・海生直人氏が、常任理事・事務局長に今村氏が就任し、スタートした。

 ☆同年7月8日、広島県民文化センターに駐日ブルガリア大使館のブラゴヴェスト・センドフ全権大使(現、当協会名誉顧問)を迎えて、「ひろしま・ブルガリア協会」の設立総会と記念パーティーを開催し、活動を開始した。

 

☆当日の参加者は、
会員約 50人、来賓を含めて60 余人だった。


設立記念レセプション

約60人が集まって開かれた設立パーティー
(2005年7月8日、広島市中区の広島県民文化センター)
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